東邦高校同窓会「東邦会」
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東邦会の歩み
「人格教育」をモットーに設立

「教育は一家の私事にあらず、君につかふる公事なり。君につかうる公事にあらざれば天につかうるの職分なり」─これは、学園創立者・下出民義翁の教育に対する信条であります。

本学園は大正12年3月「東邦商業学校」として創立。教育の理想としては、「人格教育」をモットーに社会に信頼される人材の育成を目指しました。人格の形成は、強い精神力で鍛練することによって磨かれていくものです。校訓の「真面目」は、人格の向上と信頼の確立のために自己錬磨を意図したものでした。この建学の精神は80年を経た今日も生き続けています。


高校玄関前の
下出民義翁像


翁は、明治から昭和初期にかけての偉大な実業家、政治家でしたが、晩年は私財を社会に還元することを志し、教職を天職と自覚して社会のために有益な人材を育成することに専念されました。
「赤萩」の地に花開く

昭和初期赤萩時代の校門と校舎

選抜初優勝の歓迎風景(旧名古屋駅前)

設立当初は大喜多寅之助校長が所属する中京法律学校の校舎(中区南新町)を仮校舎として開校しましたが、これと並行して赤萩の地(現東区葵三丁目・千種駅前)に校舎の建設に着手し、翌年4月に新校舎が落成しました。以後48年間にわたって、この地に東邦の歴史が築かれていきます。

開校5年後の昭和3年、第1回の卒業生63名を輩出。同年同窓会(後の東邦会)が設立されました。当時は卒業生の数は少なかったものの師弟のつながりは深く、同窓生相互も親密で、これが今日の東邦会の基盤となっています。

戦前は毎年総会の集いがもたれていました。昭和10年代には地元だけでなく、「大阪東邦倶楽部」と称する関西地区に在住する会員有志の集いも随時開かれていました。

本校は、創立当初から課外活動は活発に行われ、生徒全員が何らかのクラブに参加していました。なかでも「東邦健児団」とこれを母体とした「健児音楽隊」(吹奏楽部の前身)は当時としては先駆的なユニークな部活動でした。

昭和9年、硬式野球部が春のセンバツ大会に初出場し、全国制覇という快挙を達成しました。この優勝の波紋は大きく、名声は全国に広まりました。校内各クラブもこれに刺激され、学芸・体育の各部は栄光を目指して華々しい活動を展開していきます。

硬式野球部は戦前に3度の全国優勝、剣道部、水泳部、陸上部、弁論部、珠算部なども全国的にトップレベルのものであり、新聞部の発行する「東邦商業新聞」も当時の中等学校のレベルをはるかに超える内容のものでした。昭和10年代前半は、赤萩の地で東邦が文武両道に著しい躍進を遂げていった時期であります。
戦争の激動と痛恨の犠牲
第二次世界大戦は学園にも多大の影響を及ぼしました。これまで培われた人格教育をモットーとした自治・自由の教育理念は根底から破壊され、戦時には文部省が「商業学校無用論」まで打ち出し、一時は本校の存続も危ぶまれる事態になりました。学徒動員によって生徒らは「お国のために」を合言葉に軍需工場に勤労奉仕し、勉学は極端に犠牲を強いられました。

昭和16年12月8日、日本は米英に対して宣戦を布告。激戦の戦地に赴いた同窓生の中には戦死者が出始め、同17年には慰霊祭を兼ねた悲しい総会も開催されました。

最も痛ましい犠牲は、昭和19年12月13日、三菱重工名古屋発動機工場が大空爆を受け、学徒動員で勤務していた2名の教員と18名の若い命が失われたことです。同窓の辰巳会(商業19回生)有志によって、戦後慰霊の集いが続けらていたましたが、戦後50年を経た平成7年、生徒会の提唱により、多数の有志の寄附によって校門脇の中庭に「平和の碑」が建立されました。以後毎年12月14日を「慰霊の日」と定めて犠牲者の冥福を祈念しています。
戦後の再建と新たな基礎作り

昭和20年前半の大空襲は、名古屋の市街地を廃墟と化しました。本校は講堂を焼失したものの幸い校舎の全焼は免れました。しかし爆風によって窓ガラスは吹っ飛び、見る影もない状態でした。

戦後の再出発に当たり、昭和21年に「東邦中学校(旧制)」を設立。同23年新学制の発足と同時に、いち早く「東邦高等学校」と新制の「東邦中学校」が設立されました。新しい東邦教育づくりは、青年校長・下出貞雄のもとに進められ、新時代のポリシーとして真面目を基盤とした「愛と平和の強調」を標榜。幼時から大学教育までの一貫した教育体制を理想とするものでした。昭和25年、県下では初の児童福祉施設として「東邦保育園」を開設。幼時教育から大学教育までの縦のつながりを拡充するとともに社会との結びつきを強化していこうとするものでした。

戦後東邦会も再建され、昭和22年に江﨑真澄を会長に再出発。旧制商業だけでなく、新制高校・中学・定時制(夜間)の卒業生も統合した「東邦学園同窓会」として組織が拡大されました。

昭和28年、創立30周年記念事業の一環であった体育館の建設は、東邦の戦後復興を表わすシンボルでした。戦火によって旧講堂(体育館)が焼失して以来、この再建は戦後の悲願となっていました。落成を祝して多彩な記念行事が明日への躍進を目指して展開されました。


空襲の傷跡も生々しく残していた頃の校舎


30周年記念行事のポスター


全国的に話題となった壁画校舎

同32年には初の鉄筋校舎が完成。この頃からクラブ活動もかっての勢いを盛り返し、学園の力強い発展が進展していきました。30年代半ばからは生徒数の増加に伴って、校舎の増築、東山グランドの建設へと推進されていきます。39年に完成し本館となった日本最大の大壁画の校舎は、ユニークなものとして全国的に話題を呼んでいました。

卒業生が急増していくのに伴い、同窓生の数も年々拡大していきます。昭和39年には会員数が1万人を突破しました。東邦会では年々急増していくに伴って学年ごとの代議員制を設け、代議員会を毎年開催することになりました。また同窓生が一同に会する総会は、5年ごとの開催に改められました。
東山校地で新天地を拓く

東山グランド(平和が丘)への移転

新たに制定された制服(昭和60.4)

昭和40年、学園の40周年記念事業の一環として東山校地(現平和が丘)に「東邦学園短大」が誕生します。当時は猪高丘陵の一画、道路も未整備の不便な所で、その運営には苦難が続きました。高校も赤萩の地が地下鉄の建設工事によって移転を余儀なくされます。一方この頃から本校の進学率は急上昇をし始め、普通科が商業科を凌駕するようになっていきます。時代の変化は、日本の高度経済成長と相まって急テンポで進んでいきました。

昭和46年、未開の不便な平和が丘(当時は千種区猪高町)への移転は、学園の新天地でのチャレンジの始まりでした。当初は志願者も激減し、新たな課題への挑戦が求められました。その後名古屋東部地域が急テンポで発展していくとともに、この地域からの入学者が圧倒的に多くなり、同時に本校の新しい基盤も広がっていきます。

さらに昭和60年度から、他の私学に先駆けて男女共学に踏み切ることになりました。当時は地元の私学では異例のこと。男女共学用施設の整備、教科内容の改革、女性教員の採用など多くの課題を克服して、この試みを成功させました。併せて制服も一新。現在のブレザー型のものとなりました。
時代に即応した改革

姉妹校4校の国際交流さよならパーティ
(平成9.5.8)

改編された商業科の情報処理室

視点は海外にも向けられていきます。国際交流は51年夏に6名の生徒が米国へホームスティに参加したことに始まり、以後年々交流の密度を深めていきます。平成3年には国際交流室を設置し、姉妹校(4校)を中心とした交流、学内の国際教育の推進、社会人を対象とした市民講座の開設、学外への広報活動など、今日の組織的活動の形が確立されていきました。

平成に入ってからも時代に対応した改革は進められていきます。平成6年度には県下私学唯一の美術科を設置。また、存続を危ぶまれていた商業科は、11年度から新たに3コース制を導入し、今日の教育内容にふさわしいものに生まれ変わりました。

クラブ活動も平成元年に硬式野球部が、センバツ大会に48年ぶりの全国優勝を達成。その後もたびたび甲子園大会に出場し、常連校として全国にその名を知られています。水泳部、サッカー部、空手道部、アメリカンフットボール部なども常時全国の桧舞台を踏んでいます。文化系では伝統の吹奏楽部、また放送部の全国優勝等記憶に新しいものです。一方クラブはないものの、著名な映画俳優の輩出、大相撲に初の関取・親方が生まれたことやボクシングのユース世界チャンピオンが誕生など、話題には事欠くことはありません。
新時代に向けて

いま教育を取り巻く社会環境は大変厳しいものがあります。平成13年度からは新たに4年制の「東邦学園大学」が開学。これは学園の総合化を目指し、21世紀の将来構想の実現に向けて歩み出しました。いまこそ東邦の伝統を活かし、学園総合化に向けて歴史で培った活力を生かしていかねばならなりません。


華やかに挙行された文化祭
(平成13.9.28)

東邦会の会員数は、3万8千人を突破しました。単に卒業生の数だけでなく、幅広い分野で活躍する人材が拡大しています。活動地域も地元東海地区を中心として、全国に、さらに海外へと活動の場を広げています。 友愛を大切に、新時代に向けてその和が、さらに大きく広がっていくことが期待されています。 (文中敬称略)
歴代会長
・昭和22(1947)~昭和31(1956) 江崎 真澄
・昭和32(1957)~昭和43(1968) 林 伊佐武
・昭和44(1969)~昭和46(1971) 久保田 英夫
・昭和47(1972)~昭和60(1985) 野田 公明
・昭和61(1986)~平成11(1999) 稲垣 鍵一
・平成12(2000) 坪井 義明
・平成13(2001)~平成16(2004) 鳥原 純治(平成13年度は会長代行)
・平成17(2005)~平成20(2008) 堀田 勝行
・平成21(2009)~ 塩澤 敏明
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