東邦高校同窓会「東邦会」
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東邦会事務局の独り言

同窓生のいろんな思いも集まります。


事務局にお手紙が届きました。慰霊の日に捧げて欲しいと、写経も同封されていました。送ってくださった馬場さんは商業18回卒。毎年欠かさず供養を続けている「辰巳会」は商業19回卒ですから、馬場さんは一つ年上になります。

昨年は当時の様子を記したお手紙を頂き、追悼式では理事長が代読しました。便箋5枚のお手紙は次の様に綴られていました。抜粋ですがご紹介します。(木×2)

「今年も生涯忘れる事のない人生にとっての無情を、誰も感じた事のない又人生にとっても悲しくやるせない一日が、走馬灯の如く浮かんでは消え、小生が人生を終る迄消える事がない恩師や同僚(剣道部)一年下の人の多くの人々を亡くした夢の如き一刻でありました。

諸先生と当時4年生の人々18名と記憶しています。同級生で爆死した遺体収容者の安置場所に於いて、家族(死亡遺族)の方々の案内役を命ぜられ、尾崎先生(文学教師)と共に多くの遺体の納棺のお手伝いを致し、硬直した遺体の泥を拭い乍ら、泥の除いた蝋人形の如き面影ほのかな紅が浮かび、当時の皆さんの面影が浮かんで参ります。」

さて、馬場さんが体験されたその時の状況です。

「当時空襲警報と共に余り時間もなく、千種工場が先に空襲され、当時は浄水場附近に高射砲陣地があり、迎え撃て居りました。私たちも自分達で造った防空壕に入りましたが、程なく乾燥した空気をつんざく様な激しい爆弾が十発程は数えましたが、その後は全く解らず、工場待避の命令にて工場を出ましたが、地下道(工場連絡路)は水道管が破れ、金城女学院の生徒が地下道に浮かんでおる中、助ける訳にゆかず、一目散に矢田川原の凹地へ同級生6,7名と共に逃げました。

集中爆弾終了後、工場へ戻り4年生多数生埋めとなり、先生方の豪も直撃との事で、急ぎ小生が連絡係りとなり遺体の収容及び引渡しの当番となり、尾崎先生とその任を行いました。

遺体は同じ剣道部にて1年下であり、物言わぬ人となり顔をガーゼで拭ってやりましたら美しい優しい顔が現われ、正気に戻ったかと思違いを致しました。」

最後に馬場さんは、こう結んでおられます。

「毎年11月の中旬を過ぎますと、旧師旧友のいまわしい事柄を思い出さぬ事は有りません。現在学べる事の大切さと人々の中途で命を失った者達の分も無念を晴らすまで、戦争のない毎日で楽しみが多い今の生徒は此の点を考えて勉学に励んで下さい。」

|2010年11月17日13:43|一覧に戻る